浄願寺の歴史(沿革)
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浪清山 浄願寺の沿革
岡崎願照寺、開山専信坊専海より11代を同じくし、12代、覚了法師を 浄願寺の中興上人とし、以来22代を数える。
佐々木上宮寺の『三河念仏相承日記』貞治3年(1364)によれば、専信坊は慶長8年(1256)に親鸞聖人に会うため関東へ向かう途中、真仏上人と顕智上人とともに矢作薬師寺において念仏勧進をなし、在地の有力者である 円善、信願(針崎勝鬘寺開山)父子をはじめ35名の念仏者が帰入し、おおいに念仏繁盛したとある。
現在の本堂は、文化六年(1809)に本堂伽藍を拡大整備され、明治8年に大修理が施され、平成5年には本堂屋根瓦のふき替え等の修復がされた。
明治七年には ときのご門主明如上人(大谷光尊)より願照寺を筆頭に『三河八ヶ寺御消息』を受ける。
年表
1253年頃 | 初代 | 専信坊 釋専海 (開基) |
---|---|---|
第2代 | 釋 照心 | |
第3代 | 釋 専念 | |
第4代 | 釋 専照 | |
第5代 | 釋 存了 | |
第6代 | 釋 蓮勝 | |
第7代 | 釋 正了 | |
第8代 | 釋 正従 | |
第9代 | 釋 正栄 | |
第10代 | 釋 正玄 | |
第11代 | 釋 正智 | |
1615年 | 第12代 | 釋 覚了法師(願照寺より現在地に中興) |
第13代 | 釋 覚應 | |
第14代 | 釋 覚恵 | |
1808年 | 第15代 | 釋 覚乗(現本堂再建)(本如宗主ご下向) |
第16代 | 釋 覚證 | |
第17代 | 釋 覚実 | |
1874年(明治7年) | (明如上人より御消息を頂く) | |
第18代 | 釋 来應 | |
第19代 | 釋 覚行 | |
第20代 | 釋 厚正 | |
1959年(昭和34年) | (勝如上人ご巡教) | |
第21代 | 釋 道哉 | |
1997年(平成9年) | (本堂修復) | |
第22代 | 釋 央道 | |
2013年(平成25年) | (中興四百年記念法要) |
専信坊専海法師について
専信坊専海法師は、親鸞聖人の直弟子で六高弟の一人です。結城勝治郎朝定と称し、下野国(現在の栃木県)にて親鸞聖人の教えに会い、安貞元年(1227)顕智(高田派第三世)とともに弟子入りし、その翌年に専信坊専海と名を改めて常随給仕し法沢に浴しました。
貞永元年(1232)頃、親鸞聖人の帰京に随行され住まいを遠州(現在の静岡県)に移した後、建長5年(1253)にここ三河に移住されました。このことを親鸞聖人は大変喜ばれてお手紙にこのように記されました。
「専信坊、京ちかくなられて候こそたのもしうおぼえ候え。(訳:専信坊が京都に近い所に移られ頼もしく思います)」
建長7年(1255)には親鸞聖人のご著書である浄土真宗の根本聖典『教行信証』の書写を許され(専修寺本)、また「安城の御影」とよばれる親鸞聖人の寿像を朝円に描かせたのもこの年です。
そして弘長2年(1263)1月16日、専信坊専海法師は親鸞聖人の臨終に添い、その2年後、文永元年(1265)3月17日にご往生されたと伝えられています。