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彫刻荘厳

愛知県西尾市浄願寺 彫刻荘厳

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浄願寺の蟇股(かえるまた)

浄願寺の本堂には素晴らしい彫刻が施されています。

愛知県西尾市浄願寺 蟇股(かえるまた)
浄願寺の蟇股(かえるまた)

浄願寺の虹梁上部にある「蟇股」全体の模様が、カエルが足を広げた形に似ていることから、このユニーク名前が付けられました。浄願寺では、外陣側に中国「二十四考」絵鈔から七絵を使用彫刻が施されて彫刻のほとんどは蟇股の足の部分から前面に飛び出し、高い所にあるので、下から見上げたときにはバランスよく見えるように作られています。
*「二十四考」は、中国の故事において後の世に範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物です。

撮影制作 釈 顕曜

王祥(おうしょう)

愛知県西尾市浄願寺 王祥(おうしょう)
中国の故事二十四考絵鈔「七」
王祥は母を亡くしました。父は後妻をもらい、義母からひどい扱いを受けたが王祥は恨みに思わず、義母にも大変孝行をしました。実母が健在の折には、冬の極寒の際に母が「魚を食べたい」と言うので、王祥は魚を獲りに河に行きました。しかし、河は氷に覆われ魚を獲る事が出来ませんでした。悲しみのあまり、衣服を脱ぎ氷の上に伏していると、氷が少し融けて魚が二匹出てきました。早速獲って帰って母に与えました。この孝行の為か、王祥が伏した所には毎年人が伏せた形の氷が出来るといわれました。

郭巨(かくきょ)

愛知県西尾市浄願寺 郭巨(かくきょ)
中国の故事二十四考絵鈔「十五」
郭巨の家は、貧しかったが、母と妻を養い、妻に子供が生まれ三歳になりました。郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えて生活をしていました。郭巨が妻に「わが家は貧しく母の食事さえ足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない、ここはこの子を埋めて母を養おう」と言います。妻は悲嘆に暮れたが夫の命には従う他無く、三歳の子を連れて埋めに行きます。郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると黄金の釜が出、その釜には「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」と書かれていました。郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って、更に母に孝行を尽くしました。

舜王(しゅんおう)

愛知県西尾市浄願寺 舜王(しゅんおう)
中国の故事二十四考絵鈔[一]
舜は大変孝行な人で、父の名前は瞽叟と言い頑固者で、母はひねくれ者、弟はおごった能無しでした。
しかし舜は、ひたすら孝行を続けました。舜が田を耕しに行くと、象が現れ田を耕し、鳥が来て田の草を取り、農作業を助けました。
その時の皇帝が堯王で、王は舜の孝行な心に感心し、娘を娶らせ皇帝の座を舜に譲りました。これも孝行の心が起こした奇跡です。

孟宗(もうそう)

愛知県西尾市浄願寺 孟宗(もうそう)
中国の故事二十四考絵鈔「四」
孟宗は、幼い時に父をなくし、年老いた母を養っていました。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがり、ある冬に竹の子食べたいと言いました。
孟宗は竹林に行ったが、雪の降る冬に竹の子がある筈がありません。孟宗は、涙ながらに天に祈りながら雪を掘りました。すると、あっと言う間に雪が融け土の中から竹の子が沢山出て来たのです。孟宗は大変喜び。竹の子を採って家に帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うしました。母への深い孝行の思いが天に通じたのです。

楊香(ようこう)

愛知県西尾市浄願寺 楊香(ようこう)
中国の故事二十四考絵鈔「十一」
楊香と父が山に行った際に虎が躍り出て、今にも二人を食べようとしました。楊香は虎が去る様に願ったが叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よどうか私だけを食べて、父は助けてくださいませ」と懸命に願った所、今まで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かりました。

陸績(りくせき)

愛知県西尾市浄願寺 陸績(りくせき)
中国の故事二十四考絵鈔「二十四」
陸積は、六歳の時 袁術(後漢末期・政治家)と言う人の家に居ました。袁術は、陸績のためにおやつとして蜜柑を与えました。陸積はそれを三つ取って帰ろうとすると、袖から蜜柑がこぼれてしまい、袁術は「君は幼いのに泥棒の様な事をするのかね」と問うたところ、陸積は「あまりに見事な蜜柑なので、家に持ち帰り母への恩に報いるため、母に食べさせようと思いました」と言いました。これを聞いた袁術は「幼いのに何とゆう親孝行な子供であろうか、過去現在に於いて稀な心がけである」と褒め称えたと伝えられています。

剡子(ぜんし)

愛知県西尾市浄願寺 剡子(ぜんし)
中国の故事二十四考絵鈔「十七」
剡子には、年老いた両親がおり眼を患っていました。
両親は、鹿の乳が眼の薬になると聞き剡子に欲しいと言いました。剡子は鹿の皮を見にまとい、鹿の群れに紛れて入りましたが、そこへ猟師が本物の鹿と間違えて剡子を射ようとしましたが、剡子は、私は本物の鹿ではありません。剡子と言う者で、親の願いを叶えたいと思いこうして鹿の格好をしているのです。と話し人間であることに気付いた猟師は驚きながらも非常に感心し、剡子は難を逃れました。孝行の志が篤いので射られずに鹿を手に入れ無事に帰ることが出来、親孝行をする事が出来ました。

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