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葬 儀
葬儀は、人生最後の大切な別離の儀式です。
​浄土真宗の葬儀は、故人の冥福を祈ったり、死出の旅に送り出す儀式ではありません。
亡くなられた方を偲び、「死」という現実を前に、故人も遺された私たちも等しく
お浄土に生まれ、仏とならせていただくことに感謝の思いをめぐらす場であります。
 
「死」との出あいは、悲しみや嘆き、不安を抱かせますが、しかし浄土真宗の教えは
そのような私たちの苦悩を解決する道を示してくださっています。ですから、世間の
迷信や俗信に惑わされることなく、葬儀をご縁に改めて浄土真宗のおみのりを聞かせ
ていただき、いつか訪れる私自身の「死」をもって、故人とふたたびお浄土で遇える「倶会一処」の教えを胸に、仏前に手を合わさせていただきましょう。
寺院葬のすすめ
お寺でお葬式をしませんか?
ひと昔前までお葬儀はお寺で執り行われていましたが、今では葬儀会館など一般施設でお葬式をされる方が多くなりました。
ですが、最近になってまた少しずつ寺院葬が増えてきたように思います。
お寺での葬儀はその場限りの荘厳壇を借りる必要がないので葬儀会館よりも割安な料金で利用できますし、葬儀会社主体ではなく仏法主体の葬儀で故人とゆっくりお別れすることができます。何より、阿弥陀さまの尊前においておつとめをするということは、亡き人の願いでもありましょう。
浄願寺では椅子席のご用意もありますし、家族葬から大きな葬儀まで様々に対応させていただきますので、お気軽にご相談ください。
 
葬 儀 の 流 れ
1, お寺に連絡
身内の方が亡くなられるという悲しみの中で、遺族は葬儀などの準備をしなくてはなりません。しかし、何をどのような手順で進めたらよいのかわからないという方が大半でしょうし、一口に葬儀といっても社葬のような大規模の葬儀から、密葬のような小規模の葬儀まで様々です。何から始めたらよいのか、またどのような葬儀が望ましいのか、まずはお寺にご一報いただきご相談ください。葬儀の形態や葬祭業者の選択まで、ご遺族と一緒に考え進めさせていただきます。
なお、葬祭業者と決めた日程では葬儀の執行が出来ない場合もございますので、まずはお寺へご連絡いただきますことをおすすめします。
連絡先は、電話番号 0563-59-6711 浄願寺 まで。
Q どこの宗派でお葬式をすればいいの?
 家の宗派がわからないとか、信仰している宗教がないとか、故人と遺族が異なる宗教を信仰している
  ということは少なくありません。
  一般的に言えば、葬儀は故人の意志を尊重すべきでしょうが、しかし亡き人を縁として営まれる葬儀
  というのは、遺された遺族や縁者が故人を悼み、その遺徳を偲ばすにはおれないという心情から行わ
  れる儀式ですから、遺された私の宗教観でしか亡き人を偲ぶことはできないのではないでしょうか。
  そう考えますと、遺族の心情(信仰)に則した宗教で執り行うのがよいのではないかと思います。
  
  遺族(喪主)が、特に信仰している宗教がないという場合、今後の法要のことなどを考えつつ、亡き
  人を縁として、今後、自身が、どのようなお寺とお付き合いをしていきたいかを考える仏縁、それが
  まさしく葬儀を執り行う意味でありましょう。 
Q お葬式の日は「友引」を避けた方がいいの?
 気にしなくてもよいことです。
  「友引」など日の吉凶を占う「六曜」は、もともと中国で発案された暦注で、一説には軍略を立てる
  のに用いられた占いだと言われています。
  これが日本に伝わった時、日本は独自に漢字を変えて占いに利用しました。たとえば「友引」は本来
  「共引」と書かれ「勝負事は引き分けになる日」という意味でした。
  したがって日本の六曜には何の根拠もなく、因果の道理を説く仏教では否定されることなのです。
2, 臨終勤行
「臨終勤行」とは、本来、命が終ろうとする時に臨んで、これまで阿弥陀さまお慈悲の
なかでお育ていただいたことに対して、阿弥陀さまへの報恩感謝の儀式として、本人が
執り行う勤行(おつとめ)なのですが、しかし実際はそれを行うことはできませんから、住職が代わって親族とともにおつとめをいたします。
親鸞聖人は、「平生において、阿弥陀仏の本願を信じ念仏するものは、阿弥陀仏に摂め
取られ、既に往生することのできる身に定まっているので、現生の命を終えると直ちに
阿弥陀仏の浄土に往生して仏と成らせていただけるのだ」とお示しくださっています。
ですから、故人も、後に遺された者も、阿弥陀仏に等しく願われている身であるという
ことに対して報恩感謝の思いをめぐらし、阿弥陀仏のお浄土を人生の依りどころとして
え、歩ませていただこうとする法縁なのです。
​Q 「臨終勤行」と「枕経」は別のものなの?
 「臨終勤行」のことを世俗的な呼称で「枕経」という場合があります。
  しかし「枕経」という言い方は、他宗派において追善供養(枕もとで読経して死者の冥福を祈る)の
  ための勤行と位置づけられていることから、浄土真宗では「枕経」という呼称は用いません。
​Q 浄土真宗では「位牌」を用いないの?
A 「位牌」とは、本来、神位を示す牌であり、亡者の神霊の居所を記す札であるといわれています。
  浄土真宗においては、本願を信じ念仏する人は、阿弥陀如来に摂め取られて既に往生する身と定まる
  ので、この世の命が尽きたと同時に阿弥陀さまの浄土に往生させていただき仏にさせていただけると
  説かれます。
  ですから、亡者や神霊になるとする「位牌」は、浄土真宗の教えにふさわしいとはいえません。
  通常、本願寺派では「過去帳」を用いて法名を記し、また地方の慣習によっては「木牌」に法名を記
  して、浄土に往生された故人の遺徳を偲ぶ縁としています。
3, 通夜勤行
​通夜勤行は、一般的には「お通夜」とよばれ、葬場勤行までの夜毎、もしくは前夜に、ご遺族をはじめ、有縁の方々が仏前に集い、夜を通して執り行う勤行です。
通夜の由来は、お釈迦さまの入滅に接して泣き崩れたお弟子の阿難尊者に対して、先輩弟子のアヌルダ尊者が、日ごろ、お釈迦さまから聞いていた教えを、夜を徹して説いたということに始まります。
したがって通夜のご縁は、故人の死を厳粛に受け止め、あらためて私の人生のありようを問いながら、仏法を聞かせていただく大切な場なのです。
​Q 「法名」とか「院号」って何?
 「法名」とは、仏法に帰依し、お釈迦さまの弟子となった人の名前で、本来は生きている間に帰敬式
  を受式してご門主からいただくものです。
  帰敬式を受けずに亡くなられた場合に限り、所属寺の住職から「釋〇〇」の法名をいただけます。
  
  「院号」は、宗門の護持発展に貢献された方、または、宗門もしくは社会に対する功労が顕著である
  と認められた方に、宗門から「〇〇院」の院号が授与されます。  
​Q 「法名」と「戒名」は違うもの?
 どちらも仏教徒としての名前を表す言葉ですが、浄土真宗では「法名」といいます。
  「戒名」とは、厳格な戒律を守って仏道修行に励んでいる人に付けられる名前です。
  「戒律」とは、例えば、生きものいのちを奪わないといった規律のことです。
  しかし、私たちは数ある戒律の一つをも守ることができません。そんな私たちに、必ず救い浄土へ
  迎えるいう阿弥陀さまのおはたらきを「法」といい、その法の中に生かされている私たちがいた
  だく名前を「法名」というのです。
4, 葬場勤行
​「葬場勤行」とは、近親者を始め、有縁の人たちが集まり、葬場において執り行う勤行で故人の死を厳粛に受け止め、故人を縁として一人ひとりが真実のみ教えにあう大切な法縁です。
阿弥陀さまのご信心をいただき念仏する人は、闇の世界に死んで行くのではなく、光の世界に生まれ往くのです。
決して見捨てることない阿弥陀さまの大悲の内に、亡き人のみならず、この私も共にあることに気付かせていただき、阿弥陀さまのお徳を讃嘆させていただく仏事です。
​Q 葬儀で「引導」って聞くけど何のこと?
 「引導」とは、死者を浄土などの悟りの世界へ引き導くという意味で使われている言葉で、他宗にお
  いては、葬儀の導師がその役割を担っているとされ、葬儀の際、その儀式がなされます。
  しかし浄土真宗では、そのような儀式はありません。
  それは、私たち凡夫を浄土に引き導くはたらきのすべては、阿弥陀さまのお力・おはたらき以外にな
  く、人(導師)が人(死者)を浄土に導く力などないからです。そんな力なき凡夫だからこそ、阿弥
  陀さまは放ってはおけんとお慈悲のこころを起こしてくださったのです。
​Q 葬儀の時に読まれるお経には、どんなことが説かれれてるの?
 「葬場勤行」は、『三奉請』というおつとめから始まります。
  これは、阿弥陀さまをはじめとして、お釈迦さまや十方大宇宙にましますすべての如来さまとともに
  この法会を始めますよとの宣言から始まり、親鸞聖人がおつくりくださった『正信偈』をおとなえし
  ます。
  『正信偈』は、浄土真宗のみ教えの真髄が示されていて、故人が生前にもっとも親しんだ偈頌である
  とともに、参列者が親鸞聖人のみ教えにであうご法縁であります。
  続いて「南無阿弥陀仏」とお念仏をいただき、その後に、お念仏者の浄土往生に間違いはないとの旨
  をうたわれた親鸞聖人のご和讃を二首いただきをます。
  そして最後に『回向』をおとなえします。この回向句は、真宗門徒にとって慣れ親しんだ句ですが、
  「願わくは、この尊い南無阿弥陀仏の功徳を、分け隔てなく平等に一切の人々に伝え、ともに信心を
  得て、阿弥陀仏の浄土である安楽国に往生しましょう」とうたわれているのです。
5, 火屋勤行
「火屋勤行」とは、火葬場において、ご遺体を火葬する前に執り行う勤行です。
故人のご遺体との最後のお別れは、惜別の念がこみ上げ、とてもとても悲しいです。
仏教を説いてくださったお釈迦さまが涅槃に入られる前の最後のお言葉に「この世の中のすべての事物は移ろいゆくものである(諸行無常)」と教えてくださってます。
私たちは亡き人から、この諸行無常の理を、身をもって教えていただいているのです。
6, 還骨勤行
​「還骨」とは、火葬場から遺骨を持ち還るという意味です。
これは、遺骨に対してのおつとめではなく、先立っていかれた方も遺された私も、共に救わずにはおかないとはたらいてくださっている阿弥陀さまのお徳を讃嘆するおつとめです。
故人を縁として、いま合掌させていただき、お念仏申させていただいていることの不思議に気付かせていただいた時、故人が私に伝えたかったこと言葉が、「南無阿弥陀仏」と耳にひびいてくるのです。
 
中 陰
「中陰」とは、人が亡くなってからの四十九日間のことをいい、亡くなった日を一日目として数えて七日目を「初七日」といい丁重におつとめをします。以降七日ごとにつとめる法要を「中陰法要」といい、亡くなって四十九日目は「満中陰」といわれ特に丁重におつとめをする習わしになっています。
               【参考】死亡日から数えて 7日目「初七日(しょなぬか)
                           14日目「二七日(ふたなぬか)       
                           21日目「三七日(みなぬか)
                           28日目「四七(しなぬか)
                           35日目「五七日(ごなぬか)
                           42日目「六七日(むなぬか) 
                       満中陰 49日目「七七日(しちしちにち)
中陰法要は、亡き人への追善のためではなく、遺された者に向けられた阿弥陀さまのおこころをいただきながら、別離の悲しみから立ち直っていくための機縁となる法要です。
初七日法要
初七日法要について、昨今は火葬場から遺骨を持ち還ったあとの還骨勤行と兼ねてつとめ
られる方がおられるようですが、本来初七日法要は、亡くなられた日から数えて七日目に
つとめられる法要です。(地域によっては命日の前日から数える)
自宅に戻って来られた遺骨は、お仏壇の横に設えられた中陰壇に安置されますが、初七日
をはじめとする中陰法要は、中陰壇の前ではなくお仏壇の前でおつとめいたしますので、
ろうそくやお花などの荘厳をして法要に臨みましょう。
つまり 中陰法要は、亡き人の遺骨に対してお経をあげる追善供養としてのおつとめでは
なく、生きている私たちが亡き人を縁として仏さまの言葉であるお経を聞かせいただき、
そのお言葉通りに私を救ってくださる阿弥陀さまに感謝のお念仏をさせていただく法要
なのです。
中陰法要
​中陰法要は、悲しみから立ち上がる機縁となるものです。
死別の悲しみを乗り越えていく過程をグリーフワークといい、これには四つの段階があり
初めが「ショック期」、二番目に「喪失期」、次に「閉じこもり期」、最後に「再生期」
だそうです。
中陰法要は その節目 節目につとめられ、深い悲しみの中から 今を生きている私の人生の
確かな依りどころを見出していく大切な法要です。つまり、私たちが頼りとすべきものは
この世の無常なものではなく、決して変わることのない真実なるもの、それは阿弥陀さまの大きな 大きな慈悲のおこころにほかなりません。そのおこころを聞かせていただき、私自身の心に聞き受けていくことで死別の悲しみ乗り越えられるのです。
そのために与えられている期間が中陰であり、まことの話を聞かせていただく縁となるのが中陰法要なのです。
満中陰法要
満中陰法要は、亡き人の命日から四十九日目につとめられる法要です。
しかし世間には、「四十九日が三ヶ月にわたってはいけない」という迷信がはびこり、五七日(三十五日)で中陰法要を切り上げて満中陰法要としてしまう方がおられるようです。しかしこれはまったくの迷信です。
この迷信の由来は、「始終(四十)苦(九)が身につく(三月)」という日本語の語呂合わせでしかありませんし、そもそも、亡き人を偲んで阿弥陀さまに感謝を申し上げる法要に、その亡き人が私たちに災いをもたらすということなどありえません。
四十九日目という日にちを必ず守らなければならないということではありませんが、
迷信に振り回されることなく、七日七日の仏縁を満中陰までつとめさせていただきましょう。

浪清山 浄願寺